ハニーチ




トクベツなキス








事のはじまりは、クリスマスの1ヶ月前。



、クリスマス、ほしいもの ある?」


朝ご飯のときに翔陽が切り出した。


「ほしいもの?」

「ほしいもの!」


私は夜更かしした休日の朝で、翔陽にとっては朝のトレーニングを終えていつもと変わらない朝だった。

寝ぼけ眼にあくびを一つ。
そのあと、たしか、こう答えた。


「なんでもうれしいけど」


相手を困らせるつもりはないけど、困らせるかもなと想像しながら発した答え。

翔陽は思ったよりは困った様子はみせずに続けた。


「ほんとうにない? 欲しいもの」

「うーん……、あっ、そこのスプーンほしい」

「それは今だろ」


翔陽は笑って、こっちから手を伸ばすには遠い位置にある小さなスプーンを渡してくれた。

それを使いつつ、ぼんやりと思案する。


今年、欲しいもの。

クリスマスにほしいプレゼント。


翔陽は自分の分の朝ご飯をきれいに食べきって、じゃあ、と切り出した。



がさ、本当になんでもいいんだったら、
 俺があげたいものでもいい?」



候補があるなら言ってくれていいのに。

そう思ったのも一瞬。

翔陽が言い出したことに、寝ぼけた思考回路はまた停止した。


「……翔陽、もう一回いい?」

「特別なキス、にしたい」


とくべつな、キス。

トクベツなキス。


翔陽の言っている意味を咀嚼できずにいることを、翔陽もわかっているようだった。
私のほっぺたにそっと触れてやわらかく笑みをこぼした。


「こないだチームメイトに教えてもらった。

 しばらくしないでするキスは特別だって」


「……それって、つまり?」


つまり!

翔陽はテーブルに両手をついて元気よく言った。



「今日からにキスしない!

 次するときは、クリスマス!」



高らかにされた宣言。

意味はわかるけど、どう返事をすべきかわからない。

ひとまず水の入ったコップを手にし、中身を少し飲み込んだ。
冷たい液体が身体の中を落ちていく。

それでもやっぱり、翔陽になんて言えばいいか浮かばなかった。

そんな私を余所に翔陽は空いたお皿をあっという間に片し、椅子も戻した。


、それでいいよなっ」

「う、ん」


クリスマスプレゼントは何でもいいと言った手前、頷くしかない。

こっちの胸中を知らず、翔陽はいつもと同じ調子で言った。


「1ヶ月後、楽しみだな!」

「ん……」

「じゃあ、いってくる!」

「いってらっしゃい」


ドアを後ろ手に締め、翔陽はいつもと同じように部屋を出て行った。

私の前には食べかけの朝ご飯と、空いた席ひとつ。


「……」


ぼんやりと眺めてる場合じゃなかった。

はやく食べよう。


いつもと変わらない朝だと思っていたのに、翔陽の思いつきで、なんだか口が物寂しかった。
















“トクベツ”なキスのために、しない日々が続いた。

わかったことがある。

私と翔陽は、たぶん、世間一般より、キス、していた。


たとえば、朝、目が覚めたとき。


、おはよ!」

「おはよう……」

「また夜遅かったのか?」

「昨日は、そんなでもないよ」

「声でわかる!」


ほら、なでてくれるだけだ。

翔陽は明るく声をかけてくれたのに、唇にはなにもしてくれない。
規則正しくベッドを下りる。

それ自体は別にいいんだけど……だけど。






「あ」

「ちょっとだけいいっ?」

「どうぞ」


洗面所にあとから入ってきた翔陽に場所を譲ったときも同じ。

鏡越しに目が合ったら、翔陽はすぐ気づいた。


「今日のそれ、いつもとちがう?」


メイクのことだ。

翔陽はそういうのに疎いと見せかけて、けっこう、というか大体気づく。

そして、


、かわいいな!」


はっきり褒めてくれる。


「ありがと」

「服も! なんかこう、パッてする!かわいいし、それだけじゃなくて、きれいだ!」


照れるんだけど、言葉にしてもらえるのは嬉しい。

じぃっと鏡越しの翔陽を見つめ、用事の済んだ翔陽がこっちに振り向くのを待つ。

ばっちり目が合った。


「だれかに誘われても、俺がいるから付いてかないよーに!」

「いかないよ、そういう翔陽も」

「俺も行かないっ」

「約束?」

「約束!」


どちらともなしに小指を絡めた。
って言うのに、指はすぐ外れ、翔陽は立ち去った。


……今までならきっと、キス、してた。
ぜったい。

鏡の前の自分。
口紅は乱れることなく、パーフェクト。

それが、なんだか無性にたまらない。














「よし!」


“トクベツ”なキスをくれるって翔陽が言ってくれて2週間くらい。

ひそかに決めた。


翔陽に、キスさせる。

というのも強制的かつ物理的にさせるんじゃなくて(例えば引っ張って転ばせるとか)、翔陽からキスしたくなるように仕向けるってこと。

だって、くやしい。

いつの間にか、“キスする”のが当たり前にされていた。
今じゃ、してくれないことに違和感を覚えている。
私ばかり欲しがっている。


翔陽は、どうだろう……


今までも遠距離や遠征だとか、いろいろ待たされることは多かったけど、『お互いにしようと思えばできるのに、しない』なんて状況ははじめてだ。

それとなく観察してみたものの、翔陽の方は、しなくても平気って感じで毎日過ごしてる。

なんなら、私のことは何でもわかるって体で、これまで通りなでてくれたり、抱きしめてくれたり、その他いろいろ優しくしてくれている。
キス以外のことは、ちゃん変わらない。

……。

私だけこんな風にさせといて、翔陽だけふつうにしてるなんて不公平だ。

もしかして、バレーだろうか。

スポーツでそういう衝動が消えているのかも。
練習多いし、なんなら、恋人はバレーかなって思うこと、……多々あるし。


負けていられない。

これは勝負だ。


クリスマスが来る前に、翔陽にキスさせてみせる。


“女”、磨いてやろうじゃないか。
















、どうした?」

「別に」


クリスマス、1週間前、3日前、前日。

毎朝のできごと。

翔陽がどうしたのかと尋ねてきた。

そのたび、何でもないよって答えた。


なんでもあるのに。


翔陽が先に寝室を出て行った後、枕を意味なくはたき、そのまま顔を埋めて声を出した。
声にならない叫び。


もーーーー。


ぜんっぜん、効果がない。


いつもより露出度の高い服を着てみる、だとか、“彼氏が思わずキスしたくなる”メイクだとか、仕草だとか、シチュエーションとか!
全部やってみたけど、日向翔陽にぜんっぜん効き目がない。

なんなら、自分に影響が出てる。

キスされる夢を見た。
それも、何度も。
思い出すのもはばかられるようなことも、……多少。

いっそ翔陽のことを頭からすっかり無くそうとだってした。キスのことだって。

まったく結びつかなそうな映画やゲーム、他にも友達と遊びに行ったり、頭の中にキスの『キ』の字もなくした夜でも、なぜか、キスされる夢を見た。
もちろん翔陽に、それもちゃんと唇にする、キス。


「はぁ、もう、いやだ」


自分はいつからそんな人間になったんだろう。

夢の中は自分だけのもの。
とはいえ、人に言えない夢を、しかもリアルに思い出せるほど具体的に見るなんて、そんなの……自分じゃないみたい。



!」


いきなりドアが開いて固まっていると、翔陽が小首をかしげた。


「朝飯、食うよな?」

「く、食う」

「じゃ! はやくな」

「すっすぐ行く、すぐ」

「おう!」


翔陽は私の動きを気にもとめずに部屋を後にした。

わざと上の服を脱いでみせても、何の反応もない。


カレンダーは明日、クリスマスを示している。



「……“おれたち、もうキスしなくてもいいな”って言われたらどうしよう」



してよって言えば、してくれるんだろうけど。


私ばっかりっていうのは、やだ。





next.